18 November 2011

冬の緑





めっきり冷え込んできたリヨン。

アパートの窓から見える街路樹の葉は、まだ枝に貼り付いてはいるけれど、もうまっ茶色(抹茶の色じゃなくて、真茶色ね)。もうすぐ木々は裸になって、向こう側のアパートの部屋の中が丸見えになる季節。


鉢植えのグリーンを買っては枯らし、買い直しては枯らし…を繰り返すワタシ。世話要らずの多肉植物でさえ枯らしてしまう、これは一種の才能と言えるかもしれない ←言えない言えない。でも外の景色がグレーに染まってしまう冬、特に市街地に住んでいると、部屋の中の緑は気分を明るくしてくれる大切な暮らしの要素なんである。なくても死なないけど、あると心の余裕が違う。疲れたときに飲むお茶みたいなもんだと思う。



少し前にまた、日曜日の市場でいくつか鉢植えを手に入れた。多分、この子達が枯れてももう買い直すことはない。三月に入ったらそろそろものの処分を考え始めないといけないからである。無事に育ってくれたら育ってくれたで、里親探しをしなければいけない。

そんなことを考えていたら、ちょっとセンチになってしまった。




12 November 2011

秋の感触




10月最後の週末に、郊外の自然公園(みたいな所)へ行って来た。






山の上なのでリヨン市内よりも気温が低く、一足早く秋が深まっているようだった。







市街地に住んでいると、体に悪い空気が溜まる。定期的にこういう場所へ行かないと、心が酸素不足になるような気がする。






踏んでさくさく、触っていがいが。湿った地面と木の肌に広がる苔はしっとり。






秋は他のどの季節よりも、五感がうれしい時期なんじゃないだろうか。




26 October 2011

ワインの街

 



ある土曜日。夏に行き損ねた ボーヌまで足を伸ばすことにした。リヨンから北上してディジョンのちょっと手前、高速道路で1時間半ほどの距離である。





ボーヌで一番有名なのは、カラフルなタイル屋根のホスピス。ブルゴーニュ地方でよく見かけるデザイン様式のこの建物は、これまで写真で何度も目にしていていた。一度行って見たいとずうっと思っていたのだが、近いのでかえって訪れる機会を逃していたとでも言おうか。





さて。そのホスピスだが、フランス語にはHの発音がないので、ホスピスとは言わずオスピス。現在博物館になっているボーヌのものはオスピス・ド・ボーヌと呼ばれていて(そのまんまだけど)、ワイン通の間でかなり有名。ホスピスなのになんでまたワインなのかというのは後ほど書くとして。

このホスピスは15世紀半ば、ブルゴーニュ公国の財務長官だったニコラ・ローランによって建てられた慈善施設である。衛生意識や患者の扱いが当時としては画期的だったらしい。







圧巻なのは「貧しき人々の部屋」と呼ばれている部屋。礼拝堂を思わせる大きな部屋の中、両端の壁を縁取るようにベッドが配置されている。部屋そのものが神の存在を常に意識させる環境になっていて、真っ白なシーツと真っ赤な毛布できっちりと作られたベッドがずらりと並んでいる様子は、感動するほど美しい。






このホスピスが建てられるまで、労働階級の人達が入るような病院では、ひとつのベッドに病人が二人・三人というのが普通だったらしい。ここではちゃんとひとりにベッドひとつ。しかも、プライバシーが保てるようにカーテンもついている。





個人の所有物を保管できる引き出しや、ベッドサイドで聖書や飲み物を置く小さなテーブルも、患者ひとりにひとつずつ与えられた。




床にあった排水口(多分)。創立者ニコラ・ローランのイニシャルだと思うんだけど、どうもよくわからない(爆)。






ホスピスの建物は、中庭をぐるりと囲むように配置されている。回廊は広く取ってあり屋根もついていて、椅子に座ってゆっくり読書でもしたくなるような場所だった。立って歩ける入院患者たちは、新鮮な空気を吸いにここに出てきたのではないだろうか。







中世の建築様式に、カラフルなタイルの屋根。写真では何度も目にしていたけれど実物はやっぱり美しい。飽きた息子が先を急ごうとしていなければ、あと三十分でもじいいっと眺めていたと思う。





聖フランチェスコの像だろうか(確認できず)






ホスピス・ド・ボーヌには薬を調合する部屋もあった。調剤するのは尼僧の役目。鹿の角の粉末とか、うなぎの目玉とか、海綿を燃やした灰とか、まあそういう薬を作っていたんであるね。





この右側のは、なんとなく怖い。Terebenthinaはテレビン油、Sulfreeは硫黄。瓶は素敵だけど。





さて、ホスピスなのになぜワインで有名なのかという話に戻る。ここから先の写真はホスピスの外、ボーヌの街中のもの。





創立者のニコラ・ローランは、このホスピス建設に財産を投じただけでなく、後の運営資金源になるようにと、私有の葡萄園も寄贈した。葡萄酒の売り上げを病院の運営に使おうというわけね。葡萄は毎年採れるから(そして葡萄酒の需要はまず減らないから)、永久資金源が確保されているというわけだ。うーん賢い。






このニコラ・ローランという人物、実は色々評判があったらしい。そもそもこういう場所に入院しなければならないような貧しい階層が存在したのも、ローラン自身の財政策が大きな理由のひとつだったと言われている。ホスピス建築に財産を投じるまでは随分贅沢な暮らしをしていたようで、天罰を逃れようと大金を寄付したのだと、当時悪口を叩かれたそうだ。






でも何にもしないよりよっぽどえらいんじゃないのとワタシは言いたい。例えばバチカンの歴史なんかを読んでいると、自分と親族の栄光と利益しか頭にないひどい聖職者ばかり。汚職・堕落・不道徳は歴史につきものでなにもバチカンに限ったことではないのだが、神に仕える身分であるはずなのにこの汚れっぷりはなんなのと言いたくなる汚れっぷりなんである。





反してローランの意思は、純粋に崇高なものであったかどうかは別にして、現在にまでずっと受け継がれて立派に社会の役に立っている。組織的宗教というのは概してよく思われないことが多いが、オスピス・ド・ボーヌは、宗教が持つ社会への直接的貢献要素のとてもよい例であるとワタシは思う。






オスピス・ド・ボーヌ所有の葡萄から作られたワインは、毎年11月に競売にかけられる。慈善目的なので実際の値打ち以上の値段で落とされるわけだが、この落札値段がその年のワイン相場に大きく影響するという話も聞いた。






その辺の詳細はこことかこことかここで。




ボーヌで個人的にちょっと残念だったのは、思い通りゆっくりできなかったこと。街並みは素敵だし、ワイン博物館とか面白そうな場所は他にも色々あったんだけど、こういう街はやっぱり子供には退屈なんである。






ワイン試飲のはしごなんて子供は興味ないどころか参加できないし。「ふくろうを追え!」ツアーとか美術館とか、ディジョンには子連れでも楽しめるものがあったんだけどね。ボーヌは楽しむ街ではなくて、味わう街。

大人向けの街。





早足だったとは言え、行く機会を作れて幸運だったと思う。


22 October 2011

変なお天気




寒くなったり暖かさが戻ったり。今週は中盤から一気に冷えて、ウールのコートにブーツを要する冬の天気。異常気象はリヨンだけじゃないらしいが、予測のつかない天候の変わりように、体がついていかない。

…というわけで、風邪。はくしょん。


今年は花粉アレルギーの症状も普通じゃなくて参っている。今までは重い症状は春に出るだけで、秋にこれほど大変な思いをしたことはなかった。ところが今年は、アレルギーの症状がいつまでたっても消えない。くしゃみ・鼻水でティッシュの消費量が半端ではない。

しかも以前は肌をやられることはほとんどなかったのだが、今年は違う。目はどどんと重たく腫れたまま、頬はがさがさだし、目の周りは皮膚下に炎症が起こっているのか、さわると痛い。化粧水は敏感肌用の無アルコールのものを使っているが、それさえ沁みて痛い。保湿クリームも沁みるので、化粧品のクリームから医薬品のものに切り替えた(親子で全身に愛用中)。先週は目尻の皮膚が割れていたようで、朝起きて顔を洗うときやあくびをして涙が出たときにこれまた沁みて痛かった。え~ん。

お天気が変だから街路樹の反応の仕方も例年と違うのか?それでアレルギー反応もいつもと違うとか?

そしてこのアレルギー症状、もっと寒くなったらなくなるんだろうか。

12 October 2011

最近の旧市街




九月最後の週末。




イギリスからいらしたお客様と一緒に、旧市街を散歩した。

ついこないだまで外壁の掃除のためベールを被っていたサン・ジャン教会。ベールをとったらお肌真っ白、ぴっかぴか。ほんのりピンク色にさえ見える。きれいになりすぎてなんだかかえって恥ずかしい。何でワタシが恥ずかしいの?





夏に戻ったかと思うようなお天気だったこの日、お昼になるとカフェやレストランのテラス席はどこもいっぱいだった。





いつも思うんだけど、フランスのカフェって、こんなちっこいテーブルで、しかもすぐ隣をひっきりなしに人が(場合によっちゃ車が)通る場所で、みなさんよく落ち着いてゆっくり食事できるなあと。




Rue du Bœuf(牛通り)という名前の道。この名前だからここに牛がいるのか、牛がいるからこの名前が付いたのか…とずっと疑問だったのだが、さっきググったら答えはすぐ判明した(後者)。それにしてもなんで牛なのか、今度はそれが気になる。

というのも、この牛がいる場所は建物の角で、高さは一階と二階の間くらいの所。普通こういう建物の角のニッチにある像というのは、宗教像がほとんどなのである。聖人とか、御子イエスを抱く聖母マリアとか。それなのに何故、ここには牛が…?気になるぞ。





リヨン旧市街の画像をインターネットで検索すると、大抵登場するのがLa Tour Rose(ばら色のタワー)。この建物の一部はホテルになっている。塔の部分はらせん階段。どうせだったらここに部屋があったらいいのにね。





あれからリヨンは急に寒くなり、ブーツもすでにお出まし、先だってはついに朝の通学の際に車に暖房を入れた。そろそろ日中の光も穏やかになってきて、写真を撮るにはいい時期である。もっと寒くなると手袋しないといけないからねえ、カメラを使いにくいんだよねえ。


来週また時間を作って、Croix-Rousseまで散歩しようかと思う。