29 January 2011

そういうワタシも旅行好き?

   


今週の火曜~金曜と三泊で、ムスコが学校のスキー旅行に出かけていた。





学校からは一週間ほど前に「どこそこリゾートのなんとかロッジに泊まります」という連絡があっただけで、そこの住所とか電話番号のお知らせはなし。 

一瞬「行き先もはっきり分んないまま泊まりでムスコを送り出すの???」と思ったのだけれど、ちょっと冷静に考えたら大騒ぎすることではなかった。宿泊先は教えてくれたので電話番号等は自分で調べれば分ることなんだし、緊急事態でない限り知る必要もないわけだし、それに実際緊急であれば向こうから連絡が来る。第一夜電話して子供に繋いでもらって「元気でやってる?ちゃんとご飯食べた?歯磨きしてから寝るのよ」なーんて話すこともないわけで、よく考えたら連絡先を事前に知っておく必要はないのである。






最近の日本の環境がどういうものなのかは知らないが、このあたり、過保護のアメリカとは随分違うなあと思った。アメリカだったら細かい情報も全部保護者に配布されると思う。結局ムスコの行き先は調べることもなく、向こうから電話もかかってこないので「じゃあきっと元気で楽しんでるのね」と考えることにしておしまい。なんだかアンタも成長しろよと言われているような気がした ←ムスコ九歳、まだ子離れできていない。





さて。ムスコが丸々四日間いないなんて滅多にないことだし、ふたりでどこかに行こうよとオットに提案したのはワタシ。車でちょこっと近場へと思ったのだけれど、オットがヴェネツィアに誘ってくれた。破格運賃のイージージェットで、リヨンから直行航空チケットの往復ふたり分がなんとたったの90€。これ、ふたり分ですよ。電車でパリへ行くのより安いのですよっ。




↑イタリアの国旗の色だ。



 

そんなわけで行ってきました、二泊三日のヴェネツィア。なんだ前回の記事であんなこと言っといて自分だって沢山旅行してるじゃん、とお思いでしょうが、実は旅行はそんなに好きではないのです。

まず荷物つめが嫌い(荷物ほどきはもっと嫌い)。あと、飛行機が嫌い。というか、酔うので乗り物一般全部苦手なんだけれども、飛行機は乗ってる間だけじゃなくて乗るまでの行程も大変なので特に嫌い。

カウンターで並んで待って、セキュリティでさらに並んで待って、靴脱がされて荷物開けられてぐちゃぐちゃにされて、時には体も触られて…というあれ全部が大嫌い。

今回は手荷物だけで行ったのだけれど、女の人の旅行荷物には化粧品とかヘアケア用品とか、なんだかんだ液体物が多いじゃないですか。機内持ち込み荷物に入れてもいいのは合計100ccまで。きっちり計ってつめたわけじゃなかったけれど、一応自分では化粧水・クレンジング・ヘア用品等々の組み合わせと必要量をちゃんと考えて入れたつもりだった。しかし。リヨンのセキュリティですごーく細かく全部チェックされて、オーバーしてると言われ、ヘアジェルを容器ごと捨てていくはめに。このトラベル容器、買ったばかりだったのに(涙)。次回はスポイト使って計って入れるか?
 
あと、セキュリティで荷物開けてもいいですかと聞かれて断る人はいないと思うけど、一応我々の荷物なんだから形だけでも開ける了解を得て欲しいと思うのはワタシだけだろうか?何も言わずにぐわしと開けられて、たたんである衣服の中に手を突っ込んでバニティバッグを取り出され、その中をごそごそ探られていや~な感じがするというのは、ちょっと敏感すぎるだろうか?



 


とまあ出だしはよくなかったのだけれど、飛行時間はたったの一時間ちょっと。着いたら一安心で、空港から市内までの水上バスで酔うこともなく(片道所要一時間って言うからちょっと心配だった)、総計44時間しかいなかったにもかかわらず、楽しい時間を過ごすことができた。






行きの飛行機の窓から着陸ちょっと前に見えたヴェネツィアの街は、それはそれは印象的だった。普通空から見る島と言うと、海辺とか岸壁とかそういう「枠の空間」があって、それからちょっと内側に道路が見えて建物が見えて…っていう画像が思い浮かぶけれど、ヴェネツィアはそういう「枠」がなくてもう端からいきなり建物。それも古い古~い建物がぎっちりとコンパクトにつまっている。中世の街をどこかからはさみで切り取ってきてそのままコピペでぺたっと海の中に貼ったようで、すごーく不思議。そしてとても幻想的。






しかし、二泊じゃいくらなんでも足りなかった。あまりにも観る所が多すぎる。ぶらぶら歩いていたら絶対間違いなく迷子になる街なので、その時間ロスも計算に入れないといけない。←方向感覚抜群のオットが三度迷子になった。致命的に方向音痴のワタシは独りでは絶対に歩けない街だと思う。



↑傾いてる…(笑)。





三日目の朝、ああこの街は本当に静かでいいな~と思いながらぶらぶら歩いていて、はっと、「あ、そうか。車がないから静かなんだ」と気付く。気付くのが遅すぎるというのは置いとくとして(いいのか、置いといて?)、周りに車がないと、音だけではなくて空気が静かになることを発見した。

市内の交通手段は足かボート。徒歩交通とボートは同じ表面には存在しないから、歩いて散策していると周りは同じく歩行者のみ。運河を渡る橋はすべて下をボートが通れるようにアーチ型になっていてしかも階段だから、自転車も役に立たない(駐輪してるのは何台か見かけたけれど、乗ってる人はひとりも見なかった)。ベビーカーを押しているお母さんは結構いたが、橋を渡るたびに大変だろうと思う。荷物の配達は、できるだけ近くまで運河のボートで運んで、そこからは台車でおっちらと。

車がないから信号もない。唯一注意しないといけないのは配達の台車だけ。運河を行き来するボートのエンジンの音はあるけれど、ボートの交通量が多いのは昼間のカナル・グランデだけだし、離れた場所にいれば聞こえない。静かでゆったりした感じがするのも当然なのだった。




↑角を曲がるたんびにこんな感じ。角曲がる回数も多いし、そりゃあ迷子にもなりますって。


そして海の街!ということで、ずっと避けていた貝と海老を食べることができて幸せであった。今までのフランスでの食中毒の原因はほとんど貝か海老だし、ミラノで食中毒にあったときも問題は海老だったので、スーパーで日付を確かめて買って自分で料理する以外に貝と海老はまったく口にしていなかったのだ。それでも「どうか当たりませんように…」と祈りながら食べていたワタシ(オットも絶対同様だったはず)、トラウマの影をひきずっているなあと自分でも思う。



おいしくて美しいヴェネツィア。ここもまた行きたい場所のひとつになったけれど、そんな機会ないだろうなあ…。



 

24 January 2011

ヴァカンス



フランスの人は(ヨーロッパの人は、なのかもしれないが)、休暇を目指して生きているといってよいかもしれない。みなさん本当に休暇が好きである。

いや、もちろん日本人だってアメリカ人だって休むのは好きだと思うけど(後日追記: ここ、表現が変でしたね。米国と日本の人しか比較の対象を知らないと言いたかっただけです。気を悪くなさった方がいらしたらごめんなさい)、我々の周りの欧州の方々は、休暇に入れ込む力の具合がちょっと違うと思う。どこへも行かずにゆっくりしましょうと思う人は少ないようで、ちょっとでも休みがあれば、なんだかみんな必ずどこかへ旅行に出かけているようなのだ。それが証拠に、金曜日の夕方は高速道路が絶対混雑する。それも毎週のことなのである。

ムスコの学校のお友達でずっと前から「うちで(あるいはあちらのお宅で)一緒に遊ぼうね!」と言ってる子がいるのだが、通学圏内直径のまるで反対側に住んでいるので、放課後一緒に遊ぶことができない。だからそのうち休みの日に…と言いながら、九月の新学年開始から今まで来てしまったのは、あちらのお宅がまとまった休みがある度に必ずと言っていいほどどこかに出かけているからである。

物価の高いフランスで、どうやって平均ひと月一回の休暇をこなしているのか、ワタシには不思議でしょうがない。お子さん三人いるお宅なんかはホテル一部屋ってわけにもいかないだろうし、どうしてるんだろう。


まあそんなわけで休暇好きのフランスのみなさん、すでに春休みの宿は手配済みのよう。ちょっと行きたいところを調べてみたら、手ごろな値段のお宿はすでに予約で一杯なのである。まだ二月末のスキー旅行もほぼひと月先の話だが、そろそろ春休みの旅行のことも考えないと、泊まる所がなくなってしまうぞ。 

 
■写真は去年の四月に行ったLes Baux-de-Provence。もう一回行きたいけど、無理だろうなあ…。

22 January 2011

丸い部屋・憧れの部屋・理想の部屋




今住んでいるアパートは、古~い建物のひと住居分をリフォームしたものである。昔は多分ででんと広い一部屋だったものをぶっちぎって幾つかの部屋に仕切っているせいか、寝室として使っている部屋は、我々の部屋も息子の部屋も不規則でちょっと変な形をしている。

あんまり真四角な部屋も退屈かもしれないが、壁が出会う角度が不規則だと家具が置きにくいし、第一見た目に落ち着きがない。部屋の形が変なせいで(と自分では思うのだが)、入居して一年三ヶ月経つ今でも未だに、夜中に目が覚めると「えっと、ドアはどっちだったっけ」と一瞬迷ったりするのである。


丸い部屋というのはあまり出会うものではないが、不規則な多角形の部屋よりは過ごしやすいんではないだろうか。あと、八角形の部屋なんかもいい。視界がオーガニックにふわっと広がる感じがなんとなくフェミニンでロマンチックだと思う。天井が高くてドーム型になってたりしたら言うことない。丸いと家具を置くのに困るとは思うけど。

先日読んだあるブログの記事に、八角形の部屋の写真が載っていた。こういう部屋で窓からの眺めがよかったら、ワタシ、数日連続で家から一歩も出ないかもしれない。


余談だけど今住んでいるアパート、住居探し中に物件として見に来た時はリフォームの真っ最中で、このリンク記事の写真よりさらに衝撃的にひどい状態であった。床の板は全部はがしてあって木材とか釘とか壊れたタイルとかがあっちこっちに散らばっていて、一回りしたら靴が埃で真っ白。漆喰の壁もいったん壊して塗り直し(って言うんだろうか?)をする前だったので、壁の中身(って言うんだろうか?)がむき出し。キッチンもまだついてなかったし、トイレ・シャワーの水周りは汚らしいまま。我々もよくあんな状態で住むことを決めたもんだなあ。


自分の寝室の窓にカーテンをかけたら、今度は息子の寝室にもカーテンが欲しくなってしまった。内装が実に無愛想なのが気になって仕方ないのである。しかし、こっちは壁の角度だけじゃなくて窓の幅にも問題があって、カーテンポールは絶対に無理なのであった。

ま、あと【たった】一年半の我慢だわね。

17 January 2011

ちょうど百年前




蚤の市大好きではあるけれど、人物写真だけは買うまいと思っていた。


昔のポートレートに写っている人達は大抵なんとなく怖い顔をしているし(緊張した表情なんだと思うけど)、子供がひとりで写ってるものとか結婚写真なんかは、プライベートでしかも大切なもののはずなのに蚤の市なんかに出される運命になってしまって、なんだか可哀想な気がしていた。それを外国人の私がお金と引き換えに自分のものにして国外へ持ち出すのは、もっと可哀想なことだと思っていた。

が。

昨日出かけた蚤の市で、またもや出会ってしまったのである。ラックにばさっと入っていた写真をぱらぱらめくっていて、はたと手が止まった。人物写真を買わないポリシーは…ともちろん迷ったのだが、ピピピン!と来ちゃったんだよねえ。

白衣やエプロンを身に着けた人達の集合写真。ピピピン!と来たのは、こういう記念写真には珍しく、写ってる人の表情やポーズが固まっていないからだと思う。向かって一番右側の少年なんか、リラックスしてるような印象さえ受ける。

写真の枠下に残されたキャプションは、

Ecole de Medicine Paris 1910
Mr le Docteur André Castex (最初の単語、"Mr"に見えるのだけど、二番目の文字がすごーく小さくて、"r"なのかどうかはっきりしない)
Lucien Wormser Phot 45 Rue du Cardinal-Lemoine

この住所はパリ五区、シテ島からそんなに離れていない場所にある。メトロの、その名もCardinal Lemoine駅のすぐ近く。



10€で手に入れた、ちょうど百年前のフランスの歴史のひとかけら。

大切にしよう。



 
 

12 January 2011

カーテン




入居して一年と三ヶ月、寝室の窓にやっとカーテンをかけることができた。目の粗い麻の生地で、午前中はその紫グレーが日の光で薄まって部屋の中に滲むように広がる。この部屋で時間を過ごすのが嫌ではなくなった。


窓の外は建物の中庭を通してすぐ隣のお宅なので、シャッターを開けていると、今まではプライバシーが問題だったのだ。一度具合が悪くて昼間パジャマのままで寝ていたら、屋根の修理をしていた兄ちゃんと目があってやな感じがしたこともあった。かと言ってシャッター閉めたら真っ暗だしね。

住まいというのは基本的にはただの箱である。自然災害や戦争でその箱さえも充分に保障されない人が沢山いるのだから、カーテンひとつかけるのどうのとこだわれるのは贅沢であると思う。

贅沢を、味わって楽しむことにしよう。 

 

10 January 2011

病欠の季節



オットが留守のときに限ってムスコの具合が悪くなる…というのは、気のせいだと思う。オットの出張中にムスコにダウンされると色々とこちらへの影響が大きいので、記憶に強く残るだけに違いない。

フランスでは消化器官にくるウィルス性の病いをひっくるめてガストロと呼ぶが、現在ガストロ全国的に大爆発。冬は流行るのよね。実際、こちらで見た先週現在のお腹系症状(←一応遠まわしに言おうとする努力)の分布、すごいことになってるではないか。

うちは車で送り迎えしているが、ムスコのクラスメートの半分以上は市バスかメトロで通学である。トイレに手を洗う場所がない国だし、車内にはウィルスが大量に飛び交ってるに違いない。人ごみは避けましょうって言ったって、学校でもらってくるのである。


今日は病人のせいで楽しみにしていた仏語のレッスンに行けなかった。学校の休暇と同時に仏語もお休みになったので、四週間レッスンに行ってないことになる。頑張って覚えた動詞の活用もボキャブラリーも、休みの間にすっかりきれいに忘れてしまったような気がするなあ。


そして…。久しぶりにカメラで写真を撮って、ブログにアップしましょうと思ったら、PCに繋ぐコードがない。失くさないようにファイルアップが終わったら【すぐ】【その場で】カメラからはずして所定の場所にしまうようにしているのだが、そこから忽然と姿を消していた。まさかねぇ…とは思ったが別の大陸にいるオットにメールで聞いてみたら、「黙って持って来てごめん」。頼むぜオットよ。


08 January 2011

ある土曜日に



川の流れる街というのはいい。


川に限らず水際というのはいいものだと思う。池でも湖でも海でも。ただ、どんな形の水なのかによって、傍にいる時に感じるものが違うと思う。

海だと、その大きさの前に「ああ、自分って小さいんだなあ~。自分の抱えてる問題なんて、ちっぽけなものだなあ~」と思うし、繰り返す波の音に心の汚れが洗われるような気がする。

川の傍に立つと、その流れていく様子に心を動かされる。この水は少し前まで遠くの山の雪だったんだなあ、こうやってここまで流れてきて、ここからさらに何百キロも流れながらまた別の人たちの心を動かして行くんだなあ…と、点と点をつなぐ川のその点のひとつが自分であることにうれしさを感じたりする。


そんなうれしい川が、リヨン市内には二本も流れている。そして当たり前のことだが、どちらの川にも両岸があるので、二本の川によっつ表情があることになる。川とその周辺というのは、どちら側から眺めるかによって、まったく印象が違うからである。実にうれしい限りである、ほっほっほ(←自分は変なやつだなあと、一応は認識しながら書いてます。念のため)



びゅうびゅう風の吹く寒い冬は川を渡るのが辛い。しかし今日は一月とは思えない青空のとても暖かい日で、明日からまた出張で留守のオットと今のうちに濃い時間を過ごしておきましょうと、家族三人で川を渡って旧市街までお昼を食べに行った。






食事の後オットとムスコは友達家族とプールに行く約束をしていたので帰宅、ワタシは自由時間をもらって旧市街をぶらつくことにした。何度来てもいい所だなあと思う。こんな素敵な場所のこんな近くに住んでるのに、なんでもっと頻繁に来ないんだろう、ワタシって…といつも思う。

週末に来ることが滅多にないせいか、今日は人通りが多いのに驚いた。観光客らしい人も沢山。いつもは中に誰もいなくて敷居の高いお店も、他にお客さんがいて入りやすい。ずっと前から一度入ってみたいと思っていた(しかし気後れして入ったことのなかった)古い家具を修理・リメークして売っているお店に思い切って入ってみた。ゆりかごとか子供用の椅子とか、もうよだれが出そうな素敵な家具がいっぱいで、その中に、えっと、そのぉ、つまり、みつけちゃったのである。たんすを。

ついでに、というか、別についでというわけではないのだけれど、たんすと呼んじゃ多分いけない小さなたんすも、また別にひとつ。


母娘ふたりでやっているお店で、ふたりともとても感じのいい人だった。壊れた部分を直したり棚を付け替えたりの大工仕事をするのがお嬢さんで、ペンキ・ニス塗り等々表面の仕事の担当がお母さん。お嬢さんが英語がお上手で、いつごろの家具なのかとかどうやって修理したのかとかきちんと質問できたし、配達の相談をする際に助かった。←っつうことは、そうです、買っちゃったわけですな。ずどーん。


この後さらに、ビンテージのプリントショップで鮮やかな色合いの版画を二枚購入。なんかいいものないかな~…と探していたわけではない。あっちからビンビン「ここだよ~。買ってくれ~」光線を出していたのである。出会っちゃったもんはしょうがないのだ。

…と、そんな言い訳、ありだろうか。



こういう衝動買いをしちまった日は、やっぱりちょっと後ろめたいような申し訳ないような気がして、いつもよりも丁寧に台所の掃除をしたりなんかするのであった。





電話とメールのツールとしてしか使ってなかったiPhoneに最近色々アプリをダウンロードして、そのひとつのInstagramにはまってしまいました。今日の写真は全部Instagramで加工。冬は着ぶくれしていてカメラを持ち歩くのがうっとうしいですが、これで色々写真を撮って楽しもうと思います。